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2009年11月号 【66】

 先日、同年代の小説家と電話で話していたときに、「ボルって聞いたことがありますか?」と尋ねられた。「カフェオレを飲むお碗でしょ」と答えると、「じゃあそのボルが出てくるフランス映画、何か思い出せます?」と訊かれたので、「ゴダールの『中国女』」と即座に返答した。

 小説家はボルについてエッセイで書こうとしていたらしく、すぐにレンタルショップへ行き、『中国女』のDVDを借り、ボルが出てくるシーンを確認したようだ。後日、小説家が書いたボルについての文章を読んだが、僕の記憶力に関して多少揶揄めいたニュアンスを交えながらも、「ヤフーとかグーグルの検索速度にも似た離れ業」と書かれてあった。

 常日頃から小説家の作品を読んでその仕事にリスペクトを感じていたので、お褒めの言葉は嬉しかったのだが、内心は複雑な思いも生じた。なぜなら僕はその映画についてボルのシーンしか記憶になく、どんなストーリーであったか、またどのような展開でボルのシーンが出てきたのか、まったく思い出せなかったのだ。もちろん、ご覧になった方ならおわかりかと思うが、『中国女』という映画はアンヌ・ヴィアゼムスキー(わが10代最後のヒロインだった)をはじめとする5人の登場人物がひたすら毛沢東主義について語る「演説映画」で、あまりストーリーらしきものは存在しない。それでもいまこの映画に関する記事をネットで検索してみると、物語にはクライマックスが存在し、確かにストーリーはあったのだ。

 昔からストーリーを追うのが苦手で、小説を読んでいてもたびたび前の部分に立ち戻り物語の流れを確認しつつ読み進めていくという癖があった。読んだあともすぐにストーリーの部分は抜け落ち、印象的な文章や卓越した描写だけが記憶の中に残った。のちにストーリーを記憶することにかけては非常に秀でた才能を持った人に出会ったとき(その女性はどんな長い映画を見たあとでも、筋をすらすらと語ることができた)、世の中にふた通りの人間がいることに気づいた。すなわちストーリーをたやすく憶えられる人と憶えられない人。

 後者の人間にとっては、小説を読むことにおいてストーリーの面白さはあまり気にならない。むしろ描写の巧みさや比喩の面白さが小説を読むうえでの楽しみであるのだ。僕にとっては、小説の優劣は明らかにストーリーで下されるものではないのだ。ゴダール万歳!

( I )

 

 








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