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島本理生さん『匿名者のためのスピカ』
事件ものをベースにして、登場人物の心理状態を書くことで、ミステリー作品もできるかもと思い挑戦しました。
島本理生さん
 ストーカーに連れ去られた恋人を助けるべく、懸命に二人の行方を追う大学院生。彼が南の島で出くわすものとは? 島本理生さんの新作『匿名者のためのスピカ』は、青年二人が探偵役となって事件を追うミステリー。芥川賞の候補にもなったばかりの著者が、今回はエンターテインメントに振り切ってみせた。その心の内にあったものとは?
島本理生(しまもと・りお)
1983年東京都生まれ。2001年「シルエット」で第44回群像新人文学賞優秀作を受賞。03年『リトル・バイ・リトル』で第25回野間文芸新人賞を受賞。15年『Red』で第21回島清恋愛文学賞を受賞。他の著書に『ナラタージュ』『七緒のために』など多数。

ヒントになったのは実際の事件

 純文学とエンターテインメント、両輪で作品を発表してきた島本理生さん。今年7月、『夏の裁断』が芥川賞候補になったが、その直後に刊行された『匿名者のためのスピカ』はミステリータッチの作品だ。

 サラリーマンを辞めて法科大学院に入学した笠井修吾は、記憶力に優れた生真面目な青年。同級生の館林景織子と交際を開始するが、一見大人しく地味な彼女には高校生の時に恋人に監禁された過去があった。しかもその男、高橋らしき人物から最近メールが届いたと言う。景織子を守ろうとする笠井だが、ある日そんな彼の目の前で、景織子は自ら高橋の車に乗り込み、二人は失踪。しかも連れ去る直前、高橋は景織子の弟に暴行を加えていた。

 あらすじを読めば、女性が元恋人に母親を殺され、沖縄まで連れ去られたという、数年前の事件を思い出すはず。当時、被害者の女性が連れ回されている間、客観的には逃げるチャンスがあるように思えるものの、「逃げられなかった」という心理が話題になった。

「あのニュースを見た時に、思うところがあって。被害者側でありながら加害者と逃げていた女の子の気持ちは分からない人には全然分からない。でも分かる人は、自分もそんな風になるかもしれないと感じるのでは。ここまでの事件にならないにしても、似たような状況に陥ってしまう女の子たちはいっぱいいるはず。そのあたりを小説で丁寧に書いてみたいと思ったのがきっかけです。ただ、被害者の感情もあるので、本当の事件に沿って書くことは避けました」

 精神的に支配されてしまう状況は、確かにいろんな男女関係でも見受けられる。実は今回芥川賞の候補になった『夏の裁断』にも、強引な編集者の男性に精神的に従属してしまう女性作家が登場している。

「恋愛と似ているけれども、恋愛じゃないものを書いたのがこの2冊ですね。『匿名者のためのスピカ』のほうが連載をスタートしたのは早かったんですが、書いた時期は近かったです」

『夏の裁断』は女性作家本人の視点で描かれるが、『匿名者のためのスピカ』は笠井修吾が主な視点人物となって話は進む。

「連れ去られた女性を主人公にすると、加害者の男の人と二人きりの状況を書くことになり、かなり閉じられたシリアスな展開になる。それよりも俯瞰する視点がほしかったんです。じゃあ、その女の子とつきあっていた男の子の視点にしてみよう、と」

 笠井と同級生の七澤拓という、青年二人が景織子の行方を追って南の島へ向かうサスペンスフルな展開だが、

「10代の頃に講談社ノベルスが好きで、一時期京極夏彦さんや島田荘司さん、有栖川有栖さんといった新本格を集中して読んでいました。それで、探偵役を書いてみたいという野望があったんです。探偵とくればやはり、助手役もいるだろうと、男性二人のペアにしました(笑)」

 そう、本作で島本さん、意識的にミステリー作品に挑戦したのである。

「これまでは、私には密室ものなんかは書けないと思って諦めていたんですけれど、事件ものをベースにして登場人物の心理状態を書くことならできるかも、と思い挑戦しました。ただ、全体の構成には苦労しましたね。景織子の気持ちが分からないとなかなか感情移入できないので独白の部分も入れたのですが、最初は分からないからこそページをめくらせるようにしたかったので、その塩梅が難しかったです」

 笠井たちを法科大学院の学生にしたのは、

「ちょうど別の小説の資料で法律関連の本を読んでいて、法律と文学って相反すると感じたというか。文学は、法律で掬いきれない暗い部分や複雑な部分を補う。でも文学が許してしまいそうなことを法律はきちんと形をつけていく。お互いにまったく別のところを補完しているんですね。だから、そのふたつが組み合わさったら面白いんじゃないかと思いました。でも主人公を弁護士にすると、自分が今から調べても知識が追い付かない。それで法科大学院にしました。青春小説風にもしたかったので、それならモラトリアムの学生にしたほうがいいかな、という考えもありました。ドロドロの事件ものというよりも、青春とミステリーの要素が合わさったものにしたかった。ひと夏の切ない感じも出したかったですね。舞台に南の島を選んだきっかけは今となってはもう思い出せなくて(笑)。成長しきれていない男女が、遠くにあるきれいなものを追いかけていくイメージがあったので、そこから南十字星が出てきたように思います」

陰と陽の探偵コンビ

 笠井と七澤というコンビは、陰と陽をイメージしていたという。真面目で素直な笠井は陽、つねに冷静な七澤は陰。笠井に関しては、

「依存されやすいタイプ。景織子に頼られ、七澤君に構われ、家ではお父さんにワガママを言われている。その割には屈折していない、いい意味で少し鈍いところのある男の人です。ちょっとつきあっただけの女の子を追いかけて南の島まで行って頑張るのはどういう人かというところから20代後半で恋愛したことがなくて童貞で、司法を志すような正義感もある人にしました。10代で恋愛経験がない男の子よりもさらに純粋培養されているだろうと思ったので(笑)。波照間まで行けるようなお金や知識も必要だったので、年齢設定を高めにしました」

 こうした人物設定の理由には、最近周囲を見ていて思うところがあった、とも。

「20、30代の男の人と話していると、見た目はいいのに実は女の子とまともにつきあったことがないという、恋愛に奥手な男の人が意外と多いことに気づいて。女の人と一緒で、恋愛はしたいけれど傷つきたくないから、素敵な人が向こうからやって来ないかな、という願望がある(笑)。そういう受け身の男の人ってすごく今時っぽいなと思って、主人公にしたかったんです。そういう男の人の、女の子をがっかりさせるような台詞を考えるのが楽しかったです(笑)」

 例えば景織子のホクロに対して、笠井の情緒のない台詞にがっくりする女性読者は多いはず。かつて高橋が彼女に言った台詞とは対照的。

 一方、七澤は女性読者に人気が出そうなキャラクターだ。

「女性は特に七澤君が好きという人が多いですね。やたらと女の子の気持ちに察しがよくて、底意地は悪そうだけれども嫌いになれない。ある種、景織子と似た者同士だと思います」

 その景織子はというと、弟を溺愛する母親との3人家族で、疎外感を抱いてきた女性である。

「いつもどこか寂しそうな女の子というイメージでした。家の中に自分が求めているものがないので、それを恋愛関係に求めようとしている。被害者ではありますが、加害者の高橋さんとは相互依存関係にもある。もし景織子に隙がなかったら、高橋さんも景織子のところに戻ってこないし、戻ってきても彼女が取り付く島もなければ、ここまでの事件にならなかったはず」

 3人とも、それぞれ家庭にクセがある。笠井の父親は横暴で、母親はそれに従っている。七澤も優秀な弟ばかり大事にされ、弟自身も兄をどこか見下している。景織子は前述の通り。

「この話は母親との関係もキーになっています。笠井君だけお母さんとの関係がよくて、マザコン気味。他の二人は母親とうまくいっていない。自分が子育てをするようになってしみじみ感じたのは、母親は子供の人格に影響を与えるなということ。ですから改稿時にも景織子と母親のやりとりなどを増やしました」

 一方、唯一頼りがいのある大人といえば、七澤の叔父、太一。元週刊誌記者である彼は、景織子の行方を追う笠井と甥の手助けをしてくれる。

「あまりにも思いつめている登場人物が多かったので、保護者っぽい人を入れようと思いました。今まで読んできたミステリーでも、必ず警官か記者が出てくるので、それを踏まえました(笑)」

 読者から好感をもたれにくいのは、やはり高橋だろう。

「明確な殺意があったり、景織子を不幸にしてやろうといった強い意志はない人、というイメージでした。情緒不安定で暴力的なところがある男の人ですが、極端に人に危害を加える人物というよりも、幼いがゆえに、ずるずるとつきあっているうちにこうなってしまう」

 計画性もなく、そのうえ破滅的な行動を厭わないタイプといえる。だから景織子に対しての行動もいきあたりばったりの感がある。

「景織子をどうにかしたかったら、一回別れた後でも、もっと早い段階で何かできたと思う。でも実はそこまでの執着もないんでしょうね。たまたま景織子がいて、お互いによくない方向にいって事件が起きてしまった。ただ、こういう男の人に巻き込まれたりDV被害に遭ったりする女の人が、きまって口にする言葉があって“私だけは彼を理解している”って。それは違う、ということを言いたくて書いた小説でもあります。しかも、こういう男の人は、本能的にひっかかりそうな女の人を瞬時に選び取るのがうまいんですよね」

 その関係性は、“男女のことは他人には分からない”と片付けるには、あまりにも痛々しい。だからこそ島本さんは思いを小説に託した。

「星を追いかけているような関係性は無意味である、と言いたかった。結果的に、愛に似ているけれど愛じゃないということを書きたかったんだと思います。もともと私は初期の頃からそういうギリギリの部分を書いてきました。今まではそれを恋愛として書いていましたが、この2冊は“恋愛に似て恋愛ではなかった”という話になっています。『夏の裁断』ではだいたい“相手の男の人が怖い”という感想をいただくんですが、一人だけ“二人とも病んでいて怖い”と書いていた方がいて、個人的にはいちばん的確な表現だなと思いました」

今後はエンターテインメント一本に

 図らずも、純文学とエンターテインメントの両側から同じテーマを扱ったことになる。ただ、7月の芥川賞の発表の後、島本さんはツイッターで「今回で純文学誌は卒業し、今後はエンターテインメント誌でがんばります」と表明した。

「『ナラタージュ』以降、両方で書かせてもらってきましたが、どんどん“書き分けよう”という意識が強くなっていて。文体が極端にシリアスになるか、軽くなるか、二極化していくのが気になっていたんです。なので今後はその真ん中くらいの文体に戻したい。これを機に、どちらかに集中したほうがいいのかなと考えました」

その時、ジャンルとしてエンターテインメントを選んだのはどうしてか。

「ここ数年はエンターテインメントの媒体を中心に書かせてもらっていたので、『夏の裁断』は久々に純文学誌に書いたな、と実感しました。ただ、やっぱり長いものを書くのがいちばん楽しいというのもあって。しっかりと取材をして、ストーリーを作って、長編を書く、というのが今自分のやりたいことなんです」

 だからこそ『匿名者のためのスピカ』ではミステリーにも果敢に挑戦したわけだ。

「前もって伏線をはっておかなくてはいけないし、それを回収しなければいけないしで大変でした(笑)。でも、だいぶ修業になりましたし、ああ、もっといろいろできるなと思ったんです。エンタメはすでにすごい作家さんがたくさんいらっしゃるので、自分はジャンルを意識して書いていくというよりは、自分がこれまでに書いてきた小説を整理し直して、それを成熟させて作風を安定させたいですね。今回のような疑似恋愛や相互依存のものではなく、ちゃんとした恋愛と成長の話も書きたい。ただ、『Red』でがんばったので今はセックスを書くのはいいかな(笑)、しばらく濃厚な恋愛ものは一段落、という気持ち。家族ものにも回帰したいし、『アンダスタンド・メイビー』のような成長小説も書きたい。それに、今回のような事件ものもまたやりたいですね。女の子の気持ちを救うもの、加害者を肯定するわけではないけれども、被害者だけでなく加害者側も救えるようなものを書きたいです」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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